夏のフォトグラフ [フィクションです。植地浩志(うえちひろし)のショートストーリー]
【第一章】
その夏の、ある日、大学の講義が終わると、私はいったん自分の通学用のマンションに、帰った。
大学の机や椅子は、何時も、埃っぽいので、埃や、汚濁を、気にしないでも、良いように、通学には、ジーンズと、擦り切れたダンガリーシャツと、きめていたのだ。 教室内は、春から夏への、季節のかわり目のために、エアコンの調整が、うまくできておらずに、通学用の上下ともに、ジットリと汗を吸い込んだ感じで、何とも、やりきれない気分−だった。 大学の講義録やノート、教授が自著の推薦版の(まったく興味の持てない)分厚い書籍などは、フローリングの床に放り出した。 薄汚れた”戦闘服”を脱ぐと、火傷しそうなほどに、あついシャワーを浴び続けた。10分ほども高温のシャワーを浴びると、流れるように、汗が吹き出す。 シャワーは、通常のバスなどに入るよりも、はるかに発汗量がおおいものだ。シャワールームを出る前に、温湯をとめて、完全な冷水シャワーに、切り替えた。 私は、ランバンの純白のエリのたったシャツに着替える。ジーンズは、リーバイスから、HARFのものに、はきかえる。 モーターサイクルのキーといっしょになったキー・ホルダーを取り上げると、デッキシューズを、はいて、モータープールまで歩く。 足取りは、シャワーを浴びたためかも知れないが、いつになく、軽やかだ。
【第二章】
モータープールの一番奥の隅に、私の新しいマシーンであるグロリア2L(改)が、溢れる気品の中にも、狂暴さを秘めてうずくまるようにして停まっている。 セリカ1600GTVは、最高に、ナイスなマシンだったのだが、昨年、東名高速でフェラリと、競り合った際に、ついにオーバーレブして、ピストンがシリンダーに焼き付いてしまったのだ。損傷したのは、ピストンとシリンダーだけではなかった。シリンダーごとに、吸排気用のバルブを開閉するタペットまでが、ジャンピングをおこして、強靱な二重スプリングさえも折損していた。 惜しいことをしたものだ。 タペットが、ジャンピングを、はじめた際に、スロー・ダウンすれば、よかったのだが、つい、ムキになるのは、わたしの性分かも知れない・・・。 しかし、セリカ1600GTVが全盛を誇った時代は過ぎ去り、大排気量のマシンが街道レーサーの間でも、主流に、なっていった時期でもあったのだ。 DOHCは、確かに最適の吸排気タイミングに、タペットをカムを押下して、効率のよいパワーを引き出せるわけだが、基本的に、バルブタイミングの調整のほか、高回転、高出力は、やはり、モーターサイクル(オートバイ)の発動機の発想なのだということが、広く認識され始めていた。
【第三章】
私はホワイト・メタリックのフッ素樹脂:特注塗装のグロリア2L(改)のドアをあけると、改造した低いドライバーズ・シートに身を埋める。 品格の中にも狂暴さを予感させるのは、眼前に並ぶ補助の油圧系を含めての6連メーター群だ。ダッシュボードに整然と並ぶ6連メーターは、エンジン回転計(通称:タコメーター)と、速度計は、オリジナルのものと交換してあり、通常は5千回転の後半からレッド・ゾーンになるのだが、この、グロリア2L(改)のボアアップした上に、圧縮比を高くして高出力を叩き出す心臓部のエンジン回転計のレッド・ゾーンは実に7千回転の後半から、はじまっている。 速度計は、オリジナルでは180キロ毎時だが、そのようなものは、使いモノにならないので、特注のレーシングマシン用の速度計に交換してある。エンジン回転計のレッド・ゾーンは、7千回転の後半から始まるが、実質、8千回転オーバー(瞬間的には、1万回転を超えることが可能だそうだ。)で、まわしても、短時間ならOK!−と言うものだ。
【第四章】
これだけの高回転高出力は、いくら3リッターちかくにボアアップしたとしても、単なる、マルチ・キャブレィターと、DOHC・エンジンの組み合わせだけでは不可能だ。 2リッターのエンジンをボアアップしたシリンダーに交換して、更に、シリンダーヘッド形状から高圧縮比を得るように、セットするわけだ。 もちろん圧縮比を高めると、シリンダー内部で、不正爆発を、おこすので、点火時期のチューンには細心の注意が必要だ。ハイオクタン・ガソリンを用いれば、不正爆発を防止できるというのは、完全な間違いだ。 最適の点火時期のタイミングの調整には、半導体を用いたイグナイターを用いないわけにはならない。 チューンしたエンジンのベンチ・テストでは最大出力300PSを、超える出力を叩き出した。しかし、これほどまでのチューニングを行うことのできるのは、スピードショップ○○○以外には、見あたらないだろう・・・。。
【第五章】
イグニッションをひねると、左右4本に振り分けた太い口径のマフラーから、炸裂音に、近い爆音を発して、6気筒2L(改)の発動機が始動した。 数分のアイドリングの間は、高速型のフル・チューンの為、不安定な排気音を発していたが、次第に安定した回転におちつく。この状態になれば、アイドリングに近い状態でも、スムースに走行できるのだ。 セリカ1600GTVの場合と同様、青梅街道にあるスピードショップでサスやダンパーなどのほか、バネ下重量を最低限にするために、アルミホイールに交換してある。 バネ下重量の軽減は、エンジンのチューンより、はるかに、高速仕様に適しているものだ。 ○○○で、足回りを徹底的に高速型に改造してある。軽量アルミホイールへの交換は、もちろん、サスペンション、そして、ダンパーは、減衰力が高く、しかも適度な堅さを持つ某社のダンパーの改造品だ。ワイドタジアルは、板金で、フェンダー部位を、少しばかり叩き出さないと、装着できないほどのものだ。以前はポテンザを多様していたけれど、最近は横浜レーシングの高速用タイアを主に用いている。エンジンのチューンと足回りの改造費だけで300万を超えた。
【第六章】
特注のFRP製のエア・スポイラーや、発動機のボアアップと、バルブタイミングの変更、更に、吸排気ポートの徹底研磨と、手曲げのエグゾーストは、「吸気→爆発→排気」が、少しづつ時間差のあることを、活用して、排気ガス脈動流を利用して、吸気を、促すという斬新な考え方である。 『排気脈動流』を効率よく排気管に送る構造は、『排気脈動流』による吸排気効率上昇を目指すものだ。これらの、『排気脈動流』を活用して排気効率をあげることによるパワー・アップは、もともとは二輪の世界から、出てきたものだった。複雑な曲げ方の排気管は、手加工で作る職人芸なのだ。二輪の初期には、2サイクル・エンジンの排気効率をあげるために、エキスパンション・チャンバー(排気膨張管)が、用いられたが、しだいに、『排気効率上昇による相対的な出力上昇』という考え方は、二輪の世界に、とどまらず、四輪の世界でも、さかんに、用いられるようになってきたのだ。 これらの、改造費を含めると、実にグロリア最上級車種2台分を超える改造経費を、このマシンに、費やしたことに、なったわけだ。
【第七章】
砂利を跳ね飛ばしながら、私のグロリア2L(改)は、モータープールを出た。東京都武蔵野の吉祥寺から新宿まで青梅街道を走らせる。何時もの渋滞にはおもわず舌打ちをしてしまう。 副都心前の渋滞の為に新宿に着くまで、30分もかかってしまった。道路さえすいていれば、10分程度で到着するであろうに・・・。 周囲のオンナ目当ての車の中でも、ひときわ、輝く、ホワイト・メタリックのボンネットの下に隠された5連フォーンから、けたたましく派手なサウンドが流れ出た。 紀伊国屋書店の前は何時ものように待ち合わせの男女で埋まっている。その中でも、とび切りかわいい少女が走り出て来た。 ”ひとみ”だ。 ”ひとみ”は、わたしの、この夏3番目の彼女だった。どこのディスコも満杯の土曜日の夜だった。 新宿のディスコ、”ソウルトレイン”で、ひとりで踊っているところを、よびとめてボックス席に強引に、来させて、いきなりキスをうばったのだ。 出会いは、ほんの一瞬で決まる。いや『恋愛は一瞬の勝負』なのだ。"ひとみ"は、名前のとおり、眼のぱっちりした二重マブタの美しく、鼻筋の通った美人でもある。 紀伊国屋書店の前で、"ひとみ"を、ひろうと、私は伊勢丹の角で右折し、甲州街道、国道20号線を青梅方面に向けてはしる。5速のマニュアル・ミッションはサードにいれたままだ。
【第八章】
しかし、わたしのグロリア2L(改)は、高速型に徹底してチューニングしてあるにもかかわらず、中低速でも、咳き込むことなく、スムースに回転を上下させる。EDIの効果はさすだ。。 ”ひとみ”は、助手席で、細いタバコに火をつけると、うまそうに煙を吸いこんだ。まだ、16才だと聞いているが、年齢など、どうでもよいようなものだ・・・。。 新宿を伊勢丹でUターンして渋谷区の初台交差点を過ぎた頃、バックミラーに執拗なパッシングが・・。 しかもカンにさわる甲高い警笛までも鳴らす。 振り返ると、”デカ尻”のポルシェが、私のグロリア2L(改)の、数メートルまで接近させ、ポルシェの鼻先を左右に鼻を振り、挑発する。 ポルシェのドライバーは、黒いサングラスの為に表情はよくわからないが、不細工なアロハを着ている。不細工と言えば、横に乗っているオンナも不細工だ。 不細工なオンナを横にのせた、”デカ尻”のポルシェのドライバーは、すこしばかり目立つ、わたしのマシンと、助手席の美少女”ひとみ”を、意識しているようだ。 なんとか、わたしを、挑発させようと、やかましいだけで、しかも、薄気味の悪い警笛を、鳴らし続ける。 わたしのグロリア2L(改)は、ちょうど、慣らし運転が終わったところだ。しかし、嫌味な”デカ尻”のポルシェを、あいてに、するつもりはないので、初台を過ぎた際に、首都高ランプを通りすぎるとみせかけて、センターポールをなぎ倒す寸前で、初台ランプを駆け上がる。
【第九章】
ほとんど減速せずに、いや、むしろ加速しながら本線に合流する。 後続のスカイラインGTのフロントが、ずしんと沈む。 わたしは、走行車線を、巡航速度160キロ程度で悠々と、マシンのエキゾースト・ノートを楽しみながら、とばした。 とつぜん、バックミラーを、のぞいていた”ひとみ”が、大げさな悲鳴をあげた。 「!・・・」 しかし、あきれたことに、不細工なオンナをのせた”デカ尻”のポルシェは、あきれたことに、なんと、甲州街道(20号線)を逆走して、首都高速の導入路までひきかえして、高速ランプを駆け上がってきたのだ。 ”デカ尻”のポルシェは、その後部に搭載した空冷エンジン特有の乾いた排気音を発しながら、独特の強大なトルクにものをいわせて、急速に接近してきた。わたしは、不本意な勝負は、するつもりもないが、執拗で陰険な”アロハ野郎”の鼻をたたきおってやりたい。
わたしは、サードにシフトダウンすると、レッド・ゾーン寸前まで加速する。吸気・排気ポートの研磨を行うまでに高速チューンした私のグロリア2L(改)は、フォースにシフト・アップした際には、すでに190キロ毎時に達した。 ハヤシレーシングの火焔の模様のはいったアルミ・ホイールの為にバネ下重量が極端に軽量なのだ。 横浜タイヤ:ハイグリップラジアルADVANは、そのスピードでさえも微細な粉塵を、派手に巻き上げる。 バネ下重量の軽量化は、車体の重量を軽量化した場合のそれよりも、数倍以上もの効果を期待できる。更に高速になれば、なるほど、その威力を発揮するのがアルミ・ホイールの特性だ。 比較的車間のあいた、ほんの一瞬の隙をつき、先行車を追い抜く。風圧で、グロリア2L(改)のエアロパーツを装備した車体が、小気味よい、風圧を感じさせる。 執拗に追随してきた、”デカ尻”のポルシェのドライバーの、ドライビング・テクニックは、まったく、お話にならないようだ。 そもそも、ドライバーの腕というものは、自分のマシンと、周囲あるいは追い越す際の、他のマシンとの距離感を、経験とカンで知ることが、できるか、どうかということに、かかっているのだ。
【第十章】
大型トラックやトレーラーなどは、ともかくも、一般の自家用車にさえも、前方をふさがれて、はるか後続になっている。 ”アロハ”野郎に、ポルシェは、に、にあわないようだ。 マシーンはよくても、ドライバーの腕しだいで、どうにでもなるのが首都高トライアルの醍醐味なのだ。 もっとも、わたしの、今年のマシン、グロリア2L(改)は、性能面で、まともに勝負のできるのは、ごく限られているはずだが・・・。 助手席に座った”ひとみ”は、タバコをもみけすと、はしゃぎたてる。両足をバタバタさせて、はしゃいでいる。 興奮している証拠だ。 私は、ミッションを、オーバー・トップにホールドし、高速トライアルを楽しむ余裕さえあったのだ。 特注で交換した速度計はすでに230キロを示している。 一気に高井戸を過ぎ、中央高速にはいる。 八王寺インターで降りたら、焼肉を食べてから、16号線を使って、夏の海辺に行こう・・・。。 湘南バイパスにはナイスなホテルが結構あるものだ。 わたしは、一段とアクセルを踏み込んだ。 充分な余裕を残しながらも、グロリア2L(改)の特注の速度計は、250キロ毎時を示した。 わたしが、セブンスターを、くちにすると、”ひとみ”が慣れた手つきでダンヒルのライターで着火してくれた。 わたしは、セブンスターの煙を肺いっぱいに吸い込み、その煙を少しづつ、くちから、はきながら、鼻孔から吸い込む。 軽い目眩と、ともに、至福の感覚に浸ることができるのだ・・・。 ”ひとみ”は、そんな、わたしを、見詰めて、含み笑いをしながら言った。 『あなたの煙草の吸い方って、まるで、○○○を、やってるみたいね・・・。』 幾夜かを共に過ごした”ひとみ”だが、外出時は、わたしの名をよぶことはない。わたしは、曖昧な笑みでごまかした。 ついでに、気合いをいれて、独り言のように言った。『さあ、夏の終わりまで、とぶぜ!』 ”ひとみ”は、嬉しそうに、ひとりで何度も、頷いていた。 ひとみの眼は、涙の潤んだような感じだ。。 わたしは、フォースにシフトダウンすると、更に、アクセルを踏み込んだ。 夏の陽光は、まだ高い・・・。